安城芸妓のSTORY
安城の伝統文化の一つに花街文化があります。
その歴史は明治13年明治用水の開削により、安城ヶ原は立派な水田が次々と誕生し、同時に明治24年東海道線安城駅の開設などが安城発展の基盤となりました。併せて農林学校、郡農会、農事試験場、蚕業取締所などが設置され、当時から安城農業は「日本デンマーク」とも呼ばれ、一躍農業先進地となりました。
大正初期から昭和にかけて全国各地から視察者が急増し、この接待役として安城芸妓が誕生し花街として急速に発展をいたしました。
その後、第2次世界大戦で陰を潜めていた花街も芸妓と共に復興し、昭和26年頃から企業の進出などがあり、芸妓も最盛期には100名近くまで増えました。
平成に入り、この地方もバブル経済の崩壊と共に極めて厳しい経済環境を迎え、芸妓も減少の一途を辿り一時は数名になりました。これにはコンパニオンの出現もあり、安城市のみならず全国的な傾向であり県内で芸妓が活動するのは名古屋の名妓連と安城のみとなりました。
そこで安城芸妓組合及び安城料理業組合は英知を結集し、運営の近代化、組織の改善、サービスの向上、技能の修得等々、努力を重ねてまいりました。
今は芸妓12名が活躍しており、日中は踊り、三味線、鳴り物、笛を学び、夜は宴席と頑張っております。
年一回の笑美素会の総会・発表会では全員が芸を披露し修業の成果を発表しております。
安城芸妓組合のご紹介
安城では現在7軒の置屋があり
芸妓は13名活躍しております
芸妓は安城芸妓組合に所属しています
芸妓一覧
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